名前 播磨弾正兵庫介
またの名は
深川五郎俊頼
そしてある時は
仲村一夫
年齢 70代後半
居住地 播磨国
出身地 東の国
病歴 かなり強度な連続熱中症
- 会社を退職後居住地である播磨国には古代の古墳から取り出された多数の石棺が残存し、後にその表面に阿弥陀如来や地蔵菩薩など、あるいは梵字を彫るなどしたものがあることを知り、それらを見て廻ることに熱中した。それを文章にまとめたところ出版してくれるところが現れ、一冊の本にした。また後に、この本の出版を知ったところから、公演の依頼を受け、一日の石棺巡りツアーなども行った。
- 石造物絡みで、中世の宝筐印塔などを見ていると、石造物関係の文章には定性的で感覚的な評価が非常に多いことに気が付いた。もっと客観的な定量的な評価をすることができないものかと思い、試みたものや統計学的手法を取り入れた論文を手がけた。中世石造物も興味深く、熱中した。しかし、中世石造物は日本全国に散らばって存在しており、そこまでは手に負えないことに気が付いて熱中症からは快癒していった。
- 居住地に関わる市誌などを読むと、今から150年ほど前には存在していた江戸時代の一里塚の所在地の住所表示が出ている。しかし、現在の地図を見ても、その住所表示地がない。過去の住所地は現在どこにあるのか。という疑問に法務局が答えてくれることを知った。そこで知りえた場所と、江戸時代の絵図を組み合わせるとかつての一里塚の位置が判明した。それを地域史誌に発表した。播磨国と摂津国の西国街道の一里塚にも埋もれているものがそれなりにあり、字限図を使ったり、江戸時代の絵図を再読み直しをすることで、10か所の一里塚位置を確定することができた。それらも地域史誌に報告した。一里塚位置を検討する中で、時代ごとの播磨国絵図のなかの一里塚位置が一致していないことを見出し、一番古い慶長播磨国絵図に描かれている位置に一里塚が存在したことを確認し、その後の播磨国絵図に書かれている位置には存在しなかったことを発見し、なぜ間違った図面ができたのかの理由も解明した。一里塚と国絵図のかかわりについては大変面白く強度の熱中症に罹患した。
- その他、これまでの積み重ねの中で地域の歴史にかかわることを整理して、別の地域史の雑誌にも報告を提出した。これで地域史熱中症は一段落した。
- 現在はダンボール箱を利用した生ごみの堆肥化とそれを利用した、一年中花のある庭を目指し、さらに去年食べたスイカを今年も作ろうと熱中している。我が家から極力温室効果ガスの排出を減らせばグレタ・トゥーベリさんにも怒られずに済むだろう。中程度の熱中症に罹りながら、ホームページまでに手を出すことになってしまった。これが最後の熱中症なのだろうか、それともまだかかることがあるのだろうか。なぜかこの熱中症は死ぬまで治らないような気がする。
業績リスト
- 『播磨の石棺と石棺仏』神戸新聞総合出版センター2012
- 「兵庫県南部花崗岩製宝篋印塔の隅飾斜度」『歴史と神戸』55号3号2016
- 「日岡陵についての一考察」『歴史と神戸』57巻5号2018
- 「宝篋印塔隅飾の形態の類似性」『日引』15号2019
- 「兵庫県西国街道一里塚(1)加古川市寺家町」『歴史と神戸』58巻3号2019
- 「兵庫県西国街道一里塚(2) 加古川市平岡町西谷」『歴史と神戸』58巻5号2019
- 「兵庫県西国街道一里塚(3)神戸市中央区脇浜」『歴史と神戸』58巻6号2019
- 「兵庫県西国街道一里塚(4)赤穂市有年横尾」『歴史と神戸』59巻1号2020
- 「兵庫県西国街道一里塚(5)相生市若狭野町野々」『歴史と神戸』59巻2号2020
- 「兵庫県西国街道一里塚(6)姫路市‣姫路城下」『歴史と神戸』59巻3号2020
- 「兵庫県西国街道一里塚(7)相生市陸」『歴史と神戸』59巻5号2020
- 「兵庫県西国街道一里塚(8)神戸市兵庫区湊川」『歴史と神戸』60巻3号2021
- 「兵庫県西国街道一里塚(9)揖保郡太子町太田・阿曽」『歴史と神戸』61巻2号2022
- 「『慶長播磨国絵図』の船坂峠への道について」『歴史と神戸』62巻1号2023
- 「有馬街道の一里塚と国絵図」『歴史と神戸』62巻2号2023
- 「因幡街道の一里塚と播磨国絵図」『歴史と神戸』63巻2号2024
- 「加西郡の河川と「慶長播磨国絵図」の制作過程」『歴史と神戸』63巻3号2024
- 「加古川市平荘町法恩寺の殺生禁断」『東播磨』第28号2022
- 「加古川市内の三基の石棺仏と廃仏毀釈」『東播磨』第29号2023

ハナショウブ
2024年6月
